高すぎる壁

 翌日、キエンは昨日の男、ドゥアールクの事が頭から離れず落ち着かない様子でいた。無言で左右に行き来し、視界に入った小石を思いきり蹴り飛ばした。

「くそ、アイツ何者だったんだよ」

「バウ!バウ!」

 キエンは忙しなく吠え続けるクウを撫で、青空を眺め落ち着きを取り戻す。大きく深呼吸をして気持ちを切り替えた。

「よし、そろそろ時間だな。ググの所行くぞ」

「バウ!」

 昨日散々にやられたキエンの足取りは重かった。稽古場に着く手前ググが一人素振りをしている姿が見えキエンは立ち止まり、呼吸を忘れる程にまじまじと観察していた。

 …………ッ!

 ググの振る木剣は風を切り裂き完全に音を置き去りにしていた。木剣を地面に刺したググは空を見上げて静止した。

「いつまでそこで見ているのじゃ」

 ググの死角から見ていたはずのキエンはピクリと肩を弾ませ何もなかったかのように林を抜けた。

「なんだよ、バレてたのかよ」

「直にわかったわい、気配が駄々漏れじゃよ」

 言っている事の意味が不明で思わずキエンはググを見つめながら首をかしげた。

(昨日の男、気配なかったような……?)

 ずっと横にいるクウもそんなキエンをずっと不思議そうに見つめていた。

 ……ッス!!

 一瞬の出来事だった。気付いた時には瞬き以上の速度で一歩踏み出したであろうググの手刀が鼻先に触れないギリギリにあり、キエンは反応できないどころか、何が起きたのかさえ理解できていなかった。

「今のが当たってたら気絶していたじゃろうな。儂が敵だったら既に死んでたかもしれんのぉ」

 キエンは唖然とし、どこにも焦点が合っていなかった。

「それ、俺にもできるか?」

 細かく何度も頷きながらググは持参してきた木短刀をキエンに投げ渡し、先ほど地面に刺した木剣を抜いた。

「今日は儂に一撃当てられたら終わりにするかのぉ」

 キエンは木短刀を逆手に握ると、ボソボソと小言を言いながらググも武器を構えた。

「早くやろうぜ」

「ほほぉ逆手持ちか。よいぞ、掛かって来るがよい」

「おりゃ!」

 それから数時間、攻撃を捌いては足を掬われ続け、足元に意識を持っていかれるとすぐに頭や腕に攻撃を入れられ、気づけばキエンは全身痣だらけになり、立つのもやっとなほどフラフラに疲弊していた。

「早えし痛ぇ……容赦ねーな、おい……」

「勝負に手を抜く奴などおらんぞ」

 ググが話している最中にキエンは奇襲をかけた。

「そこだ!」

 コンッ。

 強く握っていたはずの木短刀はキエンの頭上を回転しながら宙を舞い、真っ直ぐ地面に刺さった。完璧にググの隙を突いたと確信していたキエンはその場に座り空を見上げ言葉を失っていた。

「バレバレじゃよ。また明日のぉ」

 最後にオレンジの実を二つキエンに投げ渡したググは振り返り、背中越しに手を振りながら孤児院へ戻って行った。

「なあクウ、俺強くなれんのかな?」

「バウゥ」

 クウは小さく鳴き、静かに隣で伏せた。

――――

 日が沈み昼間の稽古を思い出しながらググにくらわす一手を何時間も我武者羅にキエンは模索していた。

「だめだ、イメージが全くわかねぇ……」

「バウバウ!バウ!バウ!」

 背後のクウがいつにも増して騒がしく、気になってしまったキエンは頭を撫でて落ち着かせようと振り返った。

「やっとこっちを向いたわね!」

 そこにはクウと戯れるナムの姿があった。全く気づいていなかったキエンは驚きで身体が硬直してしまい、一瞬固まった。

「キエン?」

「あ……ごめん、いつからいたんだ?」

 我に返ったキエンの姿を凝視するナムは、優しく温かい雰囲気でクスクスと笑った。

「稽古が終わってからずっといたわよ!いくら呼び掛けても全然気づかないから流石に待ちくたびれたわ!」

「悪いな、全く気づかなかった」

 申し訳なさそうに謝罪するキエンにナムは元気よく返事をする。

「大丈夫よ!真剣だったもの!で、稽古は順調なの?」

「稽古は順調だよ、でも」

「でも?」

 キエンは何かを言いかけ、喋るのをやめた。

「いや、まだまだだな。足りないことが多すぎる」

 そっと数回首を縦に振るとナムは持参してきたバスケットからサンドイッチをキエンに手渡した。

「まだ始まったばかりでしょ!これからのためにも沢山食べて元気出しなさい!」

「ありがとう」

 サンドイッチを受け取りぺろりと平らげたキエンを見て帰ろうとしたナムは、その場でくるりと回りキエンの目を見つめ立ち止まった。

「そーだ、もっとググを観察してみたら?」

 何のことだか分からなかったが、そのままの意味で受け取ったキエンは素直に頷いた。

「わかった、そうしてみるよ。サンドイッチありがとう」

「いいのよ!明日も頑張って!」

「おう」

 そしてナムは戻っていった。

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