月日は流れ、ボードリースから迎えの来る日まで残り一ヶ月となった。あの日以来、砂丘に足を運んではググとの稽古に明け暮れていた。戦闘の腕はみるみる上達していたが、あの日右手に残った感覚だけは未だ抜けていなかった。
そして今、あの事をナムに告げるため、キエンは孤児院の前でナムの到着を待っていた。何度時計塔を見上げても針はほとんど進まない。キエンは足元を見つめポケットに突っ込んだ手を握りしめた。
「まだかよ……」
ゴーーン!
「バウ!バウ!」
正午を知らせる鐘が鳴り響き、同時にクウが吠え始めた。
「今は静かにしてくれないか……」
キエンはぼやき、吠えて真っ直ぐ走っていくクウを目で追いかけると、正面から大きく手を振って小走りでこちらへ向かってくるナムの姿があった。
キエンは思わず背筋を伸ばした。
「キエーン!!」
クウを追いかけながら笑顔で向かってくるナムの姿を目で追い、軽く右手を上げた。
「ごめんね、待たせちゃったかな?」
「全然、俺も来たばっかだよ」
「そー?ならよかった!」
キエンは視線を合わせることができず、足元に目を落とした。
「どうしたの?」
ナムが下から顔をのぞかせる。
「……いや、腹減ったな!」
「だと思って持ってきたわよ!今日は私の分もあるから一緒に食べましょ」
「そうだな、飯にしよう」
二人は孤児院正面の広場に腰を掛けた。
「バウバウ!」
匂いにつられてクウは、バスケットを鼻でまさぐり始めた。慌ててナムは取り上げたが、クウは勢いそのままに顔を突っ込み離れようとしない。そんなクウの頭をコツンと軽く叩くとクウは急に大人しくなり座ってナムの様子を伺った。
「こら、アナタのもあるからちょっと待ちなさい!」
「バウ!」
そうしてナムはバスケットから丸いパンを二つ取り出すと、掌に乗せて大人しくなったクウの鼻先に差し出した。
「いいわよ!」
クウは合図と同時にナムの手まで食べてしまうのではないかと思うくらい勢いよく食べ始めた。そんな二人のやりとりをキエンは微笑ましく眺めていた。
「私達も食べましょ!」
「うん、そうだな」
三人は仲良く横に座って昼食にした。小鳥のさえずりが聞こえ、一口、また一口とキエンはサンドイッチを頬張った。
「そー言えば話ってなに?」
「っ……!」
ナムから切り出され、驚いたキエンは食事を喉に詰まらせた。慌てて水筒を掴み、急いで水を流し込む。
「そのことなんだけど」
そう言ってキエンは少し黙る。妙に小鳥のさえずりが大きく聞こえた。
「俺、ポードリースに行くことになったんだ」
「そうなんだ、いつ頃から行くの?」
「……一ヶ月後」
「一ヶ月後?!」
ナムは少し黙り込み、キエンはその顔を見つめた。
「でもすぐに帰ってくるんでしょ?」
「わからないんだ」
「え……」
ナムの表情から笑顔が消え、キエンは次の言葉を失った。
「ググは?」
「え?」
「ググはそのこと知ってるの?」
「知ってる」
「ババ様は?」
「知ってる」
「私だけ……」
「ごめん、言い出せなくて」
ナムの手から食べかけのサンドイッチがポロポロとこぼれ落ちた。
「ズルいわ……」
ナムはバスケットを手に取るとスッと立ち上がる。
「……ナム」
「ごめん、ママのお手伝いしないと……」
「ナム……」
キエンは小走りで去っていくナムを見つめたまま、追いかけることができなかった。
――――
迎えの日を明日に控えた夜。
町の中心、円広場。オレンジ色の街灯に照らされ、キエンは一軒の家をじっと見つめていた。
バタンッ!
「お前今日も来てんのか」
「別にいいじゃねーかよ」
「なんだ?娘ちゃんに会いに来たのか?!」
酒臭いオヤジの一言がキエンの胸を突き刺し言葉が出ない。
あれから毎日ナムの食堂を訪ねた。
何もできず帰る時もあった。
意を決して扉を叩いた日もあった。
だが、扉を開けるのはいつも母のルミナさんだった。
「ごめんね……今はまだ会いたくないって」
二階の窓越しにナムの影が見える日もあった。だが気付かれると静かに窓掛けを閉じられた。
そして一度も会えないまま、出発前夜を迎えてしまった。
――――
「久しぶりだな!坊主!」
「急に聞いてビックリしたよ!」
孤児院の前には町の子供達、商店や宿屋の店主、それに食堂のルミナさんも招かれ、盛大に宴を開催していた。
「お前もずいぶんデカくなったな!向こう行ったら悪さはすんなよ!」
「キエン兄ちゃん、たまには帰ってきてよね……」
ある程度人が集まって来た所で、ググとババ様が玄関から出てくると、ググは手を叩き皆の注目を集めた。
パンッ!パンッ!
全員が注目した所で、ググはひとつ咳払いをした。
「さて皆の衆、この馬鹿弟子は明日この町を出る」
「おぉー!」
笑いと雄叫びが入り混じる。
ググは一呼吸置くとちらっとキエンをみてまた話し始めた。
「十五年暮らした町じゃ。今夜くらい盛大にやろうではないか」
そしてググが右手に持ったグラスを天高く上げると、鍛冶屋の店主が大声で乾杯の合図をした。それにつられ集まった全員が一斉に叫んだ。
「「「「「カンパーーーーイ!!!!!」」」」」
キエンも言葉には出さなかったが、グラスを顔の前に掲げた。
それから一人一人キエンに話をかけに来て、今までの事や応援の言葉をかけてくれた。次第にキエンも笑顔になっていく。そして、殆どの人と会話を交わした後、ルミナさんが訪れた。
「ごめんね。何度も声をかけたのだけれど……」
「大丈夫です、ありがとうございます」
ルミナさんは会釈をして去っていき、キエンはその後ろ姿と満月を見つめて深く深呼吸をした。
夜も更け、一人、また一人と町へ戻っていく。気づけばキエン一人が残っていた。そして最後までナムの姿はない。
キエンは最後まで町の方から目を離せなかった。