家畜小屋の羊たちが鳴いた。
「ベェーーー」
キエンは広場で棒立ちし、目の前の孤児院を見つめていた。気付けば後ろの広場で走り回っていた町の子供達に囲まれ、一斉に話し掛けられる。
キエンは一人一人頭を撫でると、しゃがんで子供達と目線を合わせた。
「ごめんな、これからググと大事な話があるんだ」
キエンは女の子に服の裾を引っ張られる。
「じゃあ、その後遊ぼうぜ!」
一番活発な少年が元気に話し始める。
キエンは少年の髪をクシャクシャにしながら言った。
「また今度な」
その時、孤児院の玄関からババ様が出てきた。右手でシッシッと子供達にやると足早に町の中心へ走っていった。
「元気かい?少し痩せたんじゃないのかい……とりあえずお入り」
「久しぶり、ありがとう」
食堂に通されたキエンは一番奥の椅子に座りババ様はその前に着座した。
「なんだい、もう戻ってきたのかい?」
「ググと話があるんだ。さっきまで一緒だったからもうじき来るはずなんだけど」
キエンが話すと、ババ様は目線を左にやり話を再開した。
「自分を忘れるんじゃないよ?」
キエンはよく理解ができなかった。だが意味は分かった。
「わかったよ」
ババ様は首を縦に振り、無言で自室へと戻っていった。
キエンは立ち上がると、食堂を見渡し、壁や机に触れる。飛び出して間もないはずの空間が遥か昔のように感じた。自室に向かい階段を上がり始めた時、正面玄関の扉が開いた。
「やっと来たか」
ググが到着した。
「キエンか。遅くなって悪いのお」
「俺も今来たところだよ」
「二階で話そう」
食堂にふらっと入ったググはティーポット片手に戻ってきた。
「ググはいつからここに住んでんだ?」
「ワシらは同期じゃよ」
話しながらググは扉を開けた。耳に悪い音を立て開く扉をくぐり、キエンは中央の円卓に腰掛けた。ググは窓の外を眺めていた。
「少し考えはまとまったかのお?」
「俺は行こうと思ってる。クウも連れていくつもりだ」
またググは何度も頷いていた。
外で待っているクウが遠吠えをする。
「ワオーーーーン!!」
ググが振り返る。テーブルに置いてあるティーポットを持ち上げると、用意されてるカップに紅茶を注いだ。
「険しい道のりになるかも知れんぞ。此処に帰ってこれる保証もない。それでも行くというのか?」
キエンは首を縦に振り、ググの目をじっと見つめる。ググはゆっくり瞬きをすると大きく深呼吸をした。
「同じじゃの」
キエンは眉を顰め首をかしげた。
「何がだ?」
「いずれ分かる、気長に待つことじゃな」
カップを持ち上げたググはホッホッホッと笑いながら一口紅茶を啜った。カップを持ったままノソノソと部屋の隅にある本棚を眺めると、一冊の本と地図を取り出しキエンに差し出した。
「なんだこれ?」
「お前さん、それ何て書いてあるか分かるかね?」
「ジショってなんだ?秘密の書?」
ググが大きく頭を振る。
「ボードリースの場所は?」
「わからん」
ググは腰ベルトを外し机の上に置くと、ゆっくり席に座った。
それからかなり長いこと話した結果、午前中は座学、午後は稽古をつけてくれる約束になった。
キエンは残った紅茶を一気に飲み干し立ち上がると、本と地図を脇に抱えて部屋を後にする。
「ありがとう。じゃ、また明日」
「ゆっくり休むんじゃぞ」
ググとの作戦会議は終了した。
――――翌朝
キエンは地図を開いていた。
「ポード……リース…………遠すぎだろ」
「バウ!バウ!」
「クウは吠えれば何とかなるもんな?」
「バウ!」
キエンは本を閉じ大きく深呼吸をした。席を立つとき椅子の足が擦れる嫌な音が二人を襲い、少し縮こまりながらドアノブに手を掛けた。
「勉強はググが来てからでいいよな」
扉を開けた瞬間、突風で砂が目と口にこれでもかと侵入してきた。咄嗟に右腕でかばったが、目の痛みに耐えられないキエンは扉を閉めしゃがみこんだ。
「痛ってぇ…何なんだよ」
クウが横に来て顔面を舐めまわしてくる。やめさせようとしても目が明かないキエンは上手くクウを捕まえられないでいた。クウは遊んでもらっていると思い更に過激になっていく。
「クウ!辞め!顔がびちょびちょだよ」
扉が開く音と共に部屋に生暖かい風が入ってくる。
「誰だ?」
「朝から元気じゃの、戯れてる時間があるなら本でも読んだらどうかね?」
やっとググが到着したようだ。
「ググか、ちょっと待ってくれ」
「何があったんじゃ?」
「さっきの突風で……目が……」
キエンは目頭をこれでもかと擦り、やっとの思いで立ち上がると、ググは背を向け林の方へ歩いていった。
「儂はそこの木陰にでもおるわい。困ったら呼んどくれ」
「わかった」
キエンは扉を閉め、床いっぱいに地図を広げた。ウルババ大陸の最南端、カルヴを探した。
山、川、国境、知らない言葉を辞書で追い、また地図を見る。そんな事を繰り返していると壁の隙間から鋭い光がキエンの顔面を襲い、集中力が完全に切れた。
「やめやめ」
キエンは地図をたたむと小屋から出る。正面でググが手を振っていた。足元にはバスケットと置き手紙が残されている。キエンはバスケットを拾い上げググの元へ向かった。
「ずっとここにいたのか?」
「良い時間じゃったぞ」
「何がだよ」
ググは笑いながら立ち上がりベルトを腰に巻き、帰ろうとした。
「え、稽古は?」
「世界を知るのが先じゃ。一か月後にまた来るから、それまで読み漁っておれ、体力もつけておくんじゃぞ」
ググはそれだけ言い残し背中越しに手を振り帰ってしまった。キエンはバスケットからパンを取り出し一口かじった。